【飢え】2023年度共通テスト国語第2問現代文小説の解答を明快解説-東大出身プロ国語講師

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オンライン個別指導「飛ぶ教室」講師けんです。
今回は2023年度共通テスト国語第2問現代文小説を解説します。
第1問はこちらで解説しておりますので、併せてご覧あそばせ。

きちんとそれぞれの問題の解法を論理的に説明し、しかも正答以外の選択肢が不正解になる理由も説明しているサイトとしては、この記事が最速で最良であると自負しています。
問題冊子は色々なところで閲覧できますが、下のページを挙げておきます。
https://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/9572

目次

2023年度共通テスト国語第2問現代文小説

出典

梅崎春生「飢えの季節」(1948)の一節
執筆当時は、文学においては、戦時中と変わらず他人の顔色ばかり伺ったり、人を出し抜いて生き抜こうと必死な世間の人間に対して、敗戦による価値の崩壊の中で「自分自身の価値」を求めようとする個人の葛藤が描かれた時代だと評価できますね。

  1. 敗戦後間も無く、広告会社勤務の主人公が「大東京の将来」をテーマにした広告の構想案を会長らに提出するも、実利主義的な経営陣に却下される
  2. その夕方、薄給で飢えている主人公は、老人の乞食に食べ物をねだられて断るが、自らも盗みで飢えを凌ぐ現状とその未来がおぞましく感じられる。
  3. 月末、薄給で食べられないことを原因に、課長に辞職の意を伝え、会社を去る。

あらすじはこの3段でまとめられるほど非常にシンプルなストーリーで、描写も分かりやすい文章で、前の年の黒井千次のような技巧もなく、主人公の感情も素朴です。

正答一覧

設問解答番号正解配点
11315
21456
31556
41616
51717
61847
71936
2027

問1. 傍線部A「私はあわてて説明した」とあるが、この時の「私」の様子の説明として最も適当なものを次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は13。

この設問はシンプルですね。慌てる心情に至った理由はそれまでに描写されていて、
構想案提出までは「晴れがましい気持でもあった」にもかかわらず、「てんで問題にされなかった」という主観と事実のズレがその理由でしょう。
また、「説明した」という行為がどのような意図を持っていたのかが、選択肢同士の違いを決定づけています。

そもそも小説の基本として、「人称」の問題があります。主観的な1人称なのか、客観的な3人称なのかは、まず意識して読みましょう。
この小説は「私」が語る形式であるため「1人称」小説だと言えます。「1人称」小説であるということは、地の文で書かれていることにそのまま主人公の主観が反映されているのです。冒頭の地の文から読み取れることは、この構想案に対する主人公の自信と真摯な態度ですね。
というわけで、選択肢②は「認められよう」「名誉を回復」という利己主義的な記述が不適切です。選択肢③は、「自分の未熟さにあきれ」の箇所が主人公の自信と矛盾し、不適切です。選択肢④「過酷な食糧事情」について見誤っていたことは、傍線部Aまでの内容からは読み取れません。⑤は、「会長からテーマの関連不足を指摘されて」の箇所が、「てんで問題にされなかった」という事実とは矛盾しています。
よって消去法で選択肢①が正解です。事実と主観が過不足なく説明されています。

問2. 傍線部B「私はだんだん腹が立ってきたのである」とあるが、それはなぜか。その理由として最も適当なものを次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は14。

この心情の説明は、傍線部の直後にはっきりと書かれています。「ただただ私は自分の間抜けさ加減に腹を立てていた」。
では「間抜けさ加減」が具体的にどういうものかということですが、これも1人称小説ならではの主観と現実とのズレが原因です。
傍線部Bより前に、この仕事が「憂国の至情に溢れてからの所業ではなくて、単なる儲け仕事にすぎなかったことは、少し考えてみれば判る筈出会った」と書かれている点がこのズレの説明です。

この点から、選択肢①「会社が国民を啓蒙し文化国家を建設する理想を掲げた」、③「会社が社員相互の競争を重視」などと前半にあるものは不適です。同様に選択肢②「戦時中には国家的慈善事業を行なっていた」も誤りですね。もとより情報局と癒着していた会社が急に啓蒙事業を行うわけがない、というのが主人公の考えでした。
選択肢④は前半はセーフですが、後半の「自嘲の念が少しずつ湧いてきた」の部分が間違いです。自嘲は一種の心情であるため、「自嘲の念が湧いてきた」から「だんだん腹が立ってきた」とつなげると、心情(理由)→心情(結果)となって心情が重複してしまうからですね(トートロジー的)。
消去法で、「自分の愚かさに気づき始めた」という事実に対する評価→心情となっている選択肢⑤正解としましょう。

問3. 傍線部C「自分でもおどろくほど邪険な口調で、老爺にこたえていた」とあるが、ここに至るまでの「私」の心の動きはどのようなものか。その説明として最も適当なものを次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は15。

ここでも一人称小説の地の文なので、「邪険な口調」という書き方は、直後に自分で振り返っての自分に対する評価に過ぎません。あえてこのように自らを「邪険」と評価する背景には、自分の老爺の願いを断る「口調」に対して同時にやましさや負い目を感じている必要があります。
また、「自分でもおどろくほど」とある通り、この振る舞いもその時点ではかなり衝動的であったことが読み取れます。この2点で考えていきます。

選択肢①は、「老爺に苛立った」ことに重点があるため不適。②の場合、「自分へのいらだち」があるから「邪険な口調」になるという解釈になりますが、常識的には成り立ちません。③の場合、説得してもねだり続ける老爺への厚かましさから「邪険な口調」になるというのは当然の流れなので、衝動的な反応ではなく不適です。④も同様で、「しつこさに嫌悪感を覚えた」ことが正当な反応であるような記述であり、衝動的な反応ではなく不適。よって選択肢⑤が、「苦痛を感じながら耐えていた」という負い目の描写と「向き合うことから逃れたい衝動に駆られた」という描写が両方含まれているため正解です。

問4. 傍線部D「それを考えるだけで私は身ぶるいした。」とあるが、このときの「私」の状況と心理の説明として最も適当なものを次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は16。

傍線部に指示語「それ」があるため、直前を見ます。「こんな日常が連続していくことで、一体どんなおそろしい結末が待っているのか。」とあり、「こんな日常」の「結末」が「それ」の内容です。
「こんな日常」は当該段落全体で「体言止め」や「列叙法」を駆使して述べられている日常です。
(「列叙法」とは、抽象的にまとめられる内容をあえて具体的事例をたくさん挙げて述べるレトリック(文章の説得力を増すテクニック)です。)

つまり、血色のいい社長たちと物乞いをする老爺たちの貧富の差と、それらに囲まれて食べ物のことばかりに囚われている自分自身の現在のこと。
このように指示語を理解していくと、その要素が全て含まれている解答は選択肢①だけで、これが正解です。

(選択肢②・③・⑤は全て、「それ」が「結末」=将来であることが反映されていないので間違いでしかありません。選択肢④は惜しいですが、本文を普通に読めば「会社に勤め始めて二十日以上経っ」ていることに気づいたのは、時系列的には身ぶるいをした後であるため、理由として不適格でしょう。また、本文では主人公が考える結末の内容は明示されておらず、農作物を盗む以上の「さらなる貧困」まで考えていたかは微妙であるため、④は過剰です。)

問5. 傍線部E「食えないことは、やはり良くないことだと思うんです」とあるが、この発言の説明として最も適当なものを次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は17。

傍線部の前には、辞意を伝える主人公の心情がはっきりと書かれています。薄給に対する「水のように静かな怒り」です。また、「私は低い声で言った」という描写の通り、すこぶる感情的にはなっていないこと、さらに自らの行動に毅然とした決意や負い目のなさが潜んでいることわかります。よって選択肢②と⑤は除外しましょう。選択肢③と④には、食べていけないという理由を述べた裏に、課長に対して何を言っても仕方がないという諦めがあるとする点が共通していますが、実際に主人公にとっての最大の辞職理由はまさしくこの食べていけないことであるため、しっかりと正論を真摯に伝えていると解釈するのが自然です。また、「静かな生活」という語句は傍線部Eまでは登場していません。地の文も全て時系列順に、その時に感じたこととして書かれているのがこの一人称小説の特徴ですから、この発言の説明に含まれるのは違和感があります。
よって消去法で正答は選択肢①

問6. 傍線部F「私はむしろある勇気がほのぼのと胸にのぼってくるのを感じていたのである」とあるが、このときの「私」の心情の説明として最も適当なものを次の①〜⑤のうちから一つ選べ。解答番号は18。

傍線部の分析をしっかりと行いましょう。「むしろ」とある以上は、何か同時に感じる心情があるが、それにまさる勇気もあるということ。勇気と同時に想定される比較対象が何なのかが問題です。
本文の前を読むと、その同時に感じる心情は「ここを辞めたらどうなるか、という危惧」が挙げられますね。辞めることに対する不安よりも、辞めても色々な生きていく方法があるという勇気が起こっているということ。
選択肢①は、比較対象が「静かな暮らしが実現できないことに失望」、②も、「静かな生活はかなわないと悲しんでいた」、③は「上司の言葉はありがたかった」という謝意、⑤は「食べていけないほどの給料に気落ち」など、比較対象が的外れだったり見当たらないので全て不適切です。
選択肢④のみ、「(辞めた後の)将来の生活に対する懸念」が「新たな生き方を模索しようとする気力」と併存している記述になっているため、選択肢④が正解です。

この問題では、「勇気」の言い換えができているかに着目しても選択肢は絞れないはずです。「むしろ」に着眼する=行間を埋める読み方が求められるため、難易度は高いと言えるでしょう。

問7.

問6.ⅰ.空欄Ⅰに入るものとして最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。解答番号は19。

選択肢①は、広告に「ご家庭用は少なくなりますから」の文言が削除されているため「軍事的圧力」が消えていることが推測されるので不適。
選択肢②は、広告にも小説文にも「倹約の精神」は読み取れず、単なる物的貧困であるため不適。
選択肢④「国家貢献を重視」ではなく、単なる物的貧困。また、小説文の「会社」も国家貢献など目指してはいなかったので、不適。
選択肢③。再利用された広告も「焼けビル」も「事物」ではあるので問題なく、選択肢③が正解。【文章】の空欄の直後にある「会長の仕事のやり方」 とも、戦前から旧態依然として自己利益追求的だったという意味ではつながりが良い。(ということにしておきます)

問6.ⅱ.空欄Ⅱに入るものとして最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。解答番号は20。

「私の飢えの季節の象徴」と小説文の最後にある通り、文字通り戦後の「飢え」の継続の象徴が「焼けビル」です。よって、選択肢②が正答に他なりません。

(それにしても、「Wさん」の【文章】は前半と後半で支離滅裂になっていることにお気づきだろうか。「焼けビル」が儲けを絶対視するような「会長の仕事のやり方」と重なると言ってのけておいて、「焼けビル」が「私」の「飢え」の象徴であると結論づける。つまり「会長の仕事のやり方」と「私の飢え」は似たようなものだと言っているのだ。このような誤読を垂れ流すWさん、いや、共通テストの出題者は故梅崎春生氏に対して失礼だと思われる。戦争によって傷つき困窮した無辜の市民を象徴するような「焼けビル」を、戦時中に情報局と結託して「情報宣伝(と注2にはあるが、正確に言葉を使えば「プロパガンダ」「翼賛広報」でしかない)」を行なっていた会社のやり口と一纏めに論じてしまうことは、あまりにも乱暴なこじつけであり、暴力的ですらある。心の声を失礼しました。)

まとめ

全体として、論拠が曖昧な設問は少なかったように思いますので、普段から論理的に解答を導いている受験生にとっては例年並みの難易度であったと言えるでしょう。

物価上昇や賃金が上がらない日本の現状がますます終戦直後に接近していきつつあることを考えると、今回の共通テスト小説は社会的に示唆にとむ内容だったのではないでしょうか。食えないことは、やはり良くないことですよね。

というわけで解説は以上です。近く古文・漢文についても解説してまいりますので、お待ちください。

ではでは。

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