趣味は海外文学の読書です。
こんにちは。オンライン家庭教師「飛ぶ教室」のけんです。最近記事の投稿に力を入れていこうと思っております。今回は授業風景のお話です。
更新していない間にあった私的なイベントとしては、京都の下鴨神社・糺の森での、納涼古本祭りです(笑)。京都・大阪・東京で開催される古本祭りにはよく足を運んで、毎度ダンボール1,2箱の購入本を郵送してもらいますね。
体験授業の自己紹介でよく言うことは、「趣味は海外文学の読書です。」というセリフですが、学校ではなぜか全然教わらないですし、受験にも関係ないので、生徒にお話する機会が殆どなく、残念です。勿論様々な分野の本を読むのですが、気づいたら海外文学がかなり多くなっております。
そんなわけでこの夏も色々古本を入手したのですが、その中で一番驚いた書物は、
筑摩書房の澁澤龍彦文学館シリーズ7『諧謔の箱』でした。色々な海外文学のアンソロジーなのですが、表紙では収録作品が一切わからず、ふと開いてみると、なんと『不思議の国のアリス』の著者、ルイス・キャロルの『スナーク狩り』(高橋康也訳)が。これはイギリス「ノンセンス文学」の言わずと知れた名著(迷鳥?)で、絶版になっていますが単行本としても出版されていて、何年か前に4000円近くで購入済み。しかし、今回はたった200円。思わず普及用として購入してしまいました。
こんな風にして手に入れた数え切れない本がうず高く積まれた自室を拠点として、全国の受験生にオンラインで国語や英語を教えている毎日です。場所からして仕事と趣味が切り離せない関係にありまして、それには一長一短ありますが。。
今回はその「一長」の部分にだけスポットライトをあててみることにいたします。
先生の余談って、必要ですか?
要点だけギッシリならべたって、頭に入るわけがない。要点が要点でなくなるからだ。そんなことになれば、それこそ全体が大きなムダではないか。要点を要点として把握するためには、まわりに「要点でないこと」がどうしても必要なのである。なるほど、諸君はいそがしいだろう。時間が惜しいだろう。しかし、いそがしいときほど「あそび」が貴重な意味をもつ。
小西甚一『古文の読解』
オンライン家庭教師「飛ぶ教室」では、毎度60分から80分ほどの授業の中で、予め解いてきてもらった志望校の過去問を解説する、という独自の授業スタイルをとっております。基本的には、問題集やテキスト通りの授業は行いません。ですから、講師の私にとっても多くの場合、初見の問題に取り組むことになり、私も事前に大体授業時間と同じくらいの時間をかけてじっくりと予習を行います。
とはいえ、私自身も東大受験、大学での研究、そして何年もの指導経験を通して、大概の入試で問われる程度の知識や能力はすっかり身に付いているので、問題を見通せばほとんどのことはすぐに理解できてしまいます。
では、予習で一体なにをしているのかというと、例えば、本文中の内容で、直接設問で聞かれはしないものの、実は受験生に理解しておいてほしい重要なポイントを見つけ出してメモしたり、そこから新しい問題を自作しておいたり。
中でも時間をかけているのは、実は余談の内容を考えることです。
その内容は、一見受験とは無関係に思えても、現代文であれば違った角度からその理解を大きく増進させる知識や、他の科目との関連に気づいてもらえる考え方の話や、受験生が大学に入ってから学びたいと思えるような分野の話、受験問題を時事と関連させられる知識など、多岐にわたります。それらを仕事場の本を見直したりして、じっくり準備しております。
というのも、私には多数の指導経験があるので、受験勉強の知識はほとんど自動的にわかりやすく伝えることができ、それで省略できた脳のリソースを、授業のさらなる改善に少しでも役立てたいと考えているからなんですね。
そもそも受験生にとっては、正直、受験勉強の内容だけであれば、例えば大学生講師や大手予備校、授業動画、参考書で十分にフォローできると私は思いますので、それでもわざわざプロの個別指導を受けてもらう以上は、他では得られないようなクオリティを提供しないといけないというプライドがあるわけです。
上記のような項目を毎回最低でも10個は用意しておき、授業に臨んでいます。実際には、科目の基礎的な解説をしっかり行うので、毎回全部は話しきれず、毎度授業時間は足りないくらいになります。受験生にとっては、過去問を全問正解してから授業に臨んでも、こんなに勉強することがあるのかと骨が折れるかもしれませんが。。
さらには、受験が終わったら読んでほしい本を毎回1冊は紹介できるように準備しています。こうして受験生の知的好奇心を高めてもらおうと目論んでいるのです。実際、この種の余談で心が動かされる生徒の方が、成績も伸びていく実感がありますね。そんなわけで、先程引用させていただいた、故・小西甚一先生の古典参考書のバイブル『古文の読解』序文の言葉は、私の座右の銘になっております。
美しい人物画も、背景があることでその人の表情がより際立ちます。その背景を作るように、重要な要点を際立たせる「ムダ」な余談を準備することが、重要だと考えています。
平安時代のルイス・キャロル
読書という趣味と家庭教師という仕事の関係が、少しご理解いただけたかと思いますが、具体的な一例として、先日の授業でお話した余談をご紹介します。
そのときの問題は、早稲田の過去問で、古典和歌の修辞技法「折句」やその発展型「沓冠」についてでした。
「折句」で有名なものは、句の一文字目を取ると「かきつばた」となる、在原業平の「からころも きつつなれにし つましあらば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」という歌。
「沓冠」は、各句の初めと終わりをとって「あわせたきものすこし」となる栄花物語の「あふさかも はてはゆききの せきもゐず たづねてとひこ きなばかへさじ」が有名。
こうした技法を単に「折句」「沓冠」と丸暗記するだけでは味気ないので、ひとつ余談をはさみました。「実は19世紀のイギリスでも、こうした技法の美に戯れた詩人がいるよ」
その人はまさしく、先程登場したルイス・キャロル。「折句」「沓冠」は英語では「アクロスティック」「ダブルアクロスティック」と呼ばれ、彼がとびぬけて優れた作品を遺しているんですね。
『スナーク狩り』解説に所収の、キャロルがババコム(Babbacombe)で過ごした少女たちに贈った歌では、10の段からなり、それぞれの詩がなぞなぞになっていて、その答えの単語をならべると、
BlufF,
AnchoR,
BroccolI,
BarquE,
AppreciatioN,
ChilD,
OdiouS,
MontH,
BelzonI,
EditorshiP
となり、ババコムでの友情(Friendship)を振り返ったメッセージが隠された「ダブルアクロスティック」になっているんですね。
生徒も、「『不思議の国のアリス』は知ってるけど、平安時代の和歌技法とこう結びつくとは!」、とは言っていなかったですが(笑)、甚く興味を示してくれています。将来、彼女の本棚にキャロルの本が並ぶと私も嬉しく思います。
例えばこういった話を授業に織り交ぜていけば、退屈な勉強が突然あざやかに彩られ、また古文に対する関心も芽生えたりするものと確信しております。
授業はいつも「即興」です。
上のような豆知識は、単に塾講師なんかをしているだけでは身につかないものなので、我ながら自分の趣味に感謝しております。文学に限らず、歴史、語学、社会学、哲学、心理学、文化人類学、物理学、数学、芸術など尽きせぬ関心で読書を行っているので、なるべく指導に還元できるようこれからも邁進していきたいものですね。
そして、学校の科目に分けられた授業がすべてだった生徒に、色々な知識の関連を学んでいってもらえる授業にしていきたいです。例えばホタルの明滅が、中国古典思想やレーザーに使われる量子の運動、英文学、さらにはジャズなどの即興音楽とどれほど関係しているのか云々。伝えたいことはたくさんあります。是非とも好奇心を育んでほしいですね。
即興音楽といえば、私は授業をいつも即興音楽の演奏者の気持ちで取り組んでおります。「即興」というと、どうしても「適当に、その場しのぎ」というネガティブなイメージが付き纏いますが、そういうことではありません。
例えばインド古典音楽はすべて即興で行われていますが、シタール奏者が演奏時間以外はずっとチャイを飲んでぐうたらしているかといえば、そんなことはないですね。勿論綿密な練習をし続けて、様々なフレーズを覚え、いつでも使えるように磨きをかけています。そのフレーズをいかに適切に繰り出せるかが、演奏の勝負所であって、その先に天才的なひらめきがあるわけです。
私の授業もまったくそういう風な姿勢で臨みたいと考えています。だからこそ、予め決められたテキストや問題集に頼らず、過去問の指導にこだわっています。過去問の内容にはある種の「偶然性」がありますが、その偶然を活かしていけば、必ず科目全体の学びにつながります。あらゆる道が学びに通じています。こうした意味での良質な「即興」は、集団授業では難しく、個別指導で相手の反応を受け止めながら行うのが最適だと思っています。
というわけで、長々と書きましたが、ご興味をもっていただけた方は、是非「飛ぶ教室」にお越しいただきたく思います。ではでは。
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