現代文は主観を入れて読め?!

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こんにちは。「飛ぶ教室」講師のけんです。引き続き当教室の指導にあたっての考え方を紹介していきます。

一般的な考え方:客観的に読む

現代文を読む上でのテクニックについて、「現代文は主観を入れて読んではいけない」 という主張をよく耳にします。自分の感覚や主観は切り離して、作者の視点に立つということですね。この一般的な考え方を図にすると以下のようになります。

「現代文は客観的に読め」という主張

確かに、自分の感覚、フィーリングだけで本文を読むと、ついつい丁寧に読むことができなくなってしまうので、この主張は一面は正しいように思われます。

しかし、ここで考えていただきたいことは、私たちは本当の意味で、完全に主観を排除することなどできるのか?ということですね。少し考えればわかることですが、どんなことについても完全に客観的に考えることはできません。そんなことができるとすれば、もはやそれは人間じゃなくて神様ですから。つまり、いかに客観的に読もうとしても、気づくとそこに勝手な主観が入ってくることは避けられない。それが入試では失点につながります。

哲学的な考え方はさておき、実際勉強するときにこの考え方をとると困った問題が生じてきます。

それは、その文章に対して興味を抱くことができず、受け身になってしまうということです。人は誰でも、自分に関係ないことに対して熱中することはできません。熱中できないで取り組むと、一番重要な点がどこなのか、どういうゴールを持って作者が語っているのかが理解しづらくなります。さらに、自分ごとではない知識は記憶にも残りづらいという重大な欠点があります。人間の記憶は感情と深く結びついているからですね。

ゲームで例えると、一昔前に流行ったドラクエや、ポケモンのような平面上のキャラクターを上から目線で操作する「トップビュー」方式が、出口汪などが薦めるこの「客観的」な読み方になります。

「飛ぶ教室」の考え方:間主観的に読む

ゲームの世界では主流は今や、FPS(一人称視点)やスプラトゥーンやフォートナイトといった、TPS(三人称視点)と呼ばれる、3次元空間でキャラクターを少し背後から操作する方式になってきていると思います。技術向上もありますが、この方が没入感が高いからでしょう。FPSは完全にキャラクターの視点ですが、TPSは少し引くことで広い視野が得られます。

TPS(三人称視点)

これに近いイメージをしてもらえると良いですが、「飛ぶ教室」では、「間主観」的な読み方を推奨しています。「間主観性」とはフッサールという哲学者が唱えた概念ですが、簡単に図示すると以下のようになります。

間主観的な読み方のイメージ

著者もまた同じ人間ですから、自分と切り離して考えるのではなく、2人の視点が重なり合う場所に立って読むこと。でも完全に没入するのではなく、自分と違う部分を意識するという読み方になります。このように考えることで、主観を排除しようとするよりもむしろ自分の今までの考え方と距離をとることができるようになります。

一方で、著者と読み手は人生経験や考えていることが全く異なります。それを踏まえて、なるべく著者の思考に近づくためには、やはり歴史や議論されている分野の背景知識が必要です。そういった知識を補完することで、著者の視点に接近したいところですね。

理論的にはこういった読み方が正しいと考えるわけですが、これをそのまま伝えたところで生徒がすぐに実践できる訳ではありません。「飛ぶ教室」では、オンライン個別指導を通して実際に講師が一緒に読み、考え方を示していくことで、次第に生徒に習得を促して行っております。

また、本文の要約を作る≒少し違う言葉で書き直すことが、著者の思考を理解するのには一番有効です。「飛ぶ教室」が、要約の添削を重視するのもこうした考えが背景になっています。

無料体験を実施しているので、ぜひお申し込みください。

ではでは。

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