早稲田大学の国語の解き方!2022年度過去問現代文をオンライン家庭教師が解説。(授業デモ)

過去問解説

こんにちは。「飛ぶ教室」オンライン家庭教師のけんです。今回は長文です・・・!

当塾ではいつも志望校過去問を中心に授業を行っております。今日は授業のデモンストレーションとして、早稲田大学法学部の2022年度国語過去問を解説してみようと思います。今回は第4問の現代文です。

早稲田大学法学部の受験生に限らず、現代文の勉強に応用していただけるよう、また、お選びの際に当教室での解説の濃度がおわかりいただけるよう記事を書くことにしました。今後もいろんな大学の過去問を解説していく予定です。

現状、過去問は以下のリンクから閲覧できます。解けなくてもよいので取り組んでみてください。

https://www.waseda.jp/inst/admission/assets/uploads/2022/11/12_2022_ippan_kokugo.pdf

2022年度 法学部 入試問題
入試制度 一般選抜 / 外国学生入試 / 帰国生入試 / 学士入試 /転部入試 PDFのアイコンがついているものは、PDFファイルが開きます。 一般選抜 必須科目 英語 2023/4/25更新 国語 2022/11/22更新 選択科目 政治・経済 202...

なおページの最後に段落単文要約を作成しておきました。理解が深まるのでご自身でも要約に取り組んでもいいかもしれませんね。それと、本文は高校生には聞き馴染みのない単語がたくさんでてきますが、問題文に語彙注釈は一切ないので、できる限り語彙の説明も載せておきます。不十分なところは検索してみてくださいね。

本文解説

著者の意図を考えよう。

出典は田辺明生「グローバル市民社会」より。ちなみに田辺氏は東京大学で人類学と南アジア(≒インド)研究をされている方で、学生時代に授業を受けたことがあります。「サンスクリット化」といって、インドの低位カーストの人々が高位カーストの文化を真似しながら、なるべく地位をたかめていこうとする実践についてのお話なんかが印象にのこっています。

出典の題名は解く時は最初にみておくと、全体の流れを予測できるヒントになるのでよいと思います。

ではまず、今回の文章がどういった目的で書かれているのかをメタ的に考察してみましょう。「メタ的」に、つまり俯瞰して考えるのが上達のコツですよ。

さて、今回の本文のわたしが読み取った性質としては、

①終始繰り返し提唱されるフレーズ(例えば、「自己変容を含んだ運動あるいは過程」など)がある。

②抽象的な主張が多く具体的にイメージしにくい。

③「主張」はあるが、「事実はこういうことだ」という指摘ではなく、読み手が未来の行動に役立てて欲しい「こうするべきだ」という主張である。

といった性質があります。これって、現代文で主流の文章とはちょっと違いますよね?現代文で圧倒的に多いのは、なんらかの現象や事実があって、それに対する一般的な見方があり、そこに著者が新しい見方を提示する、という形式です。

しかしこの文章の著者は、むしろ最初から結論はこうだ、と主張したうえで、他のひとの意見も援用しながら、誤解を招かないよう補足しつつ、その主張に説得力をもたせようとしています。そして、この著者が訴えかけているのは、特にアジアの人々や女性など、従来虐げられる立場にある人々で、読み手はだれでもよいわけではなく、ある意味限定されていますよね?

こうした文章は、「アジテーション」に近い、つまり「強い調子の文章や演説などによって人々の気持ちをあおり、ある行動を起こすようにしむけること」を目的にしたものとみることができます。こうした文章は、具体的な行動については言及しない、うがって言えば「自己啓発」的な側面があるものです。

なぜこのような話をするかというと、普通の文章と同じ心づもりで読むと、先入観がはいってしまい、何がいいたいのかわからなくなってしまうからです。当然ですよね。現代文では、「作者の想定する読者」になったつもりで読むことが、理解に役立ちます。

出題者の意図も読み取ろう。

さて、これで大まかに著者の意図がわかったかと思いますが、なぜ、この文章が出題されたかについても考えてみましょう。

第一に、この著者は(東大教授という社会的立場はありながらも)「虐げられている側」の視点で文章を書いています。そして、この種の視点をもち、社会を平等にしていこうという政治的な立場は、いわゆる「リベラル」と呼ばれるものです。

あくまで傾向ですが、早稲田大学の過去問では「リベラル」な主張の出題が多いです。そもそも、文系大学教授には「リベラル」な方が多いように思いますから、当然といえば当然です。

こうした文章が受験で出題されるということは、ある意味で受験生に「リベラル」な考え方ができるようになって欲しいというメッセージです。もちろん実際にそう考えないといけないわけではないですが、読解の際には自分の意見や立場を仮定しながら読むのが上達には欠かせません。

高校まででは、学校では政治についての話はタブーであることが多いですし、自分の意見がないのもよくわかりますが、当塾では政治や宗教などの事柄も(もちろん中立的に、)忌憚なく話して、知見を増やしていただきます。でないと、現代文が得意にはなれませんから。

そして第二に、さまざまな聞きなれない単語が登場し、しかも注釈がないということ。これも出題者からのメッセージです。

つまり受験生には、これくらいの内容は、事前に知っておくか、知らなくても類推できる程度には知識を持っておいてほしいと、出題者は思っているわけです。

そのためにおすすめしたいことは、可能であれば選択科目で「倫理」を取っておくことです。その他科目での知識はちょっと調べれば解決することが多いですが、哲学的な内容は時間がかかりますからね。倫理選択の生徒は現代文の習熟が早いのは、他の選択の方には残念ですが事実です。

とはいえ、わかりやすい参考書もたくさん出ているので、買っておくのはおすすめです。逆に、一問一答形式の「現代文キーワード集」のような参考書は使い方要注意ですよ。

そもそも、「方法としての主体」って?

ようやく内容に入っていきます。読解でカギとなる用語は「方法としての主体」という言葉ですが、これについての直接的な説明をするのは意外と難しいですよね。

まずは「方法として」の意味について。
倫理選択の方はご存知かもしれませんが、17世紀フランスにデカルトという哲学者がいました。『方法序説』の著者で、「我思う、故に我あり」という言葉で有名ですが、この言葉にたどり着くまでに彼は、真理を考えるために自らの偏見を全て取り除こうと色々考えました。
例えば他人の意見や自分の視覚など、普段何となく正しいと考えているものでも、実際は不確実ですから、そういったものは全部ひとまず疑わないと、偏見が入って真理に辿り着けないと考えたわけです。

そこで、そうした不確実なことを「あえて」疑ってみた時、彼は世界全体が疑わしく感じられたんですね。
この「あえて」が重要です。真理のために「あえて」何でも疑うことを彼は「方法的懐疑」と名付けました。

何らかの目的にたどり着くために「あえて」ある手段を採用する。それが「方法として」の意味なんですね。

次は、その手段としての「主体」とは何かについてです。
受験生の中には、先生や親からよく「もっと主体的に勉強しなさい」と言われる人もいると思いますが、それはおそらく「自覚や意志を持って、能動的に」勉強するという意味ですね。

でも、「主体的に勉強しなさい」と言われて勉強したら、それって受動的だし、主体的じゃなくない?と、ちょっとひねくれた人なら感じるかもしれません(学校だって、「主体的に」入ったわけじゃないし・・・)。
まさにその通りで、本当に「主体的」かどうかは、実は疑うべきなのです。

話は飛びますが、例えばイギリスの植民地だった時のインドで、輸出用綿花栽培に従事していた農民だって、自ら望んで「主体的に」農作業をしている認識をしていた人もいたでしょう。だって生きるためには労働するしかないし。
ですが、その背後にはやはりイギリス人による支配があり、インド人を困窮させるような「構造」があるわけで、「能動的」と「受動的」は表裏一体なんです。

こういった支配構造の中で、下位に位置付けられている人は、「労働して貢げ」と言われ、支配者側から労働する「主体」としての立場を「与えられ」ていると見ることもできるわけです。
なお「主体」は個人に限らず、社会の中で発言したり政治参加する集団のことを指す場合もあります。

そして、この構造を打破するために、インドではガンジーが「非暴力不服従」によって、与えられた搾取されながら労働する「主体」を放棄する方法を提唱し、戦後のフランスなどでは「構造主義」といって、真の意味で「主体」が実は存在せず、人々は予め存在する社会構造のゲームの中で行動しているだけだ、と主張する哲学が登場しました。

本文の中の、「ポストコロニアル時代」(脱植民地時代)というワードも、この構造主義と連動して、戦後盛んになった、植民地支配の遺恨をはらす「ポストコロニアル理論」のことを示唆しているんです。

ただし、現在は「ポスト・ポストコロニアル時代」だと著者は言っています(第4段落)。つまり、統治者側から被支配者に与えられた「主体」から逃れることが目指された「ポストコロニアル時代」はもう終わった。これからは、その先で新たな理論が必要だ、ということをこの言葉から推測できます。

さて、ここまでで「方法としての主体」について、イメージできてきましたか?
結論を急ぐと、ポスト・ポストコロニアル時代では、被支配者が与えられた「主体」を捨て去るのではなく、「あえて」その立場を「引き受け」利用し、活かして、その立場からしか見えない視点で世界を考えたり、社会に正当に認められることを目指せ、と著者は主張しているわけです。

これは明記されていませんが、単に「主体」であることを放棄するだけでは、虐げられた事実がうやむやになったり、建設的ではないからいけない、ということでしょうか。

実際に植民地インドでは、今までイギリスによる統治に利用されてきたカーストが、単純に否定されるのではなく、抵抗運動の拠点となったという肯定的な面もあったことが本文では示されています。これが「方法としての主体」の中心的なイメージなんですね。支配のために与えられた主体=カーストを、逆に支配に争うために再利用するような感じですね。

難関大頻出の「脱構築」も抑えよう。

さて、受験現代文では「近代」について論じた文章がよく出る、と聞いたことはある人も多いでしょう。確かに「近代」について大まかに理解しているだけでかなり有利になることは間違いありません。

しかし、難関大受験ではさらに踏み込んで、「近代」を克服する「現代」の思想についての知識が求められます。中でも最重要概念が「脱構築」で、本文では第3段落に出てきます。

誤解を恐れず書くと、「近代」とは「二分法」つまり物事をなんでも白黒に切り分ける思考法の時代です。そしてそれは、帝国主義・植民地主義と深く関係しているのです。本文には、

ヨーロッパ・都市・ブルジョワ・男性・キリスト教徒を中心とする帝国的・植民地的な支配関係を脱構築

と書かれています。これらの要素の反対を考えると、
「非ヨーロッパ・田舎・プロレタリアート・女性・非キリスト教徒」となるでしょう。

植民地に限らず、誰かを支配するためには、まずはその「誰か」が自分とは異なると決めつける必要があります。そのために、このように物事を二つに切り分け、一方が優位で他方が劣っていることにする。この考え方がさまざまな分野で徹底されたのが「近代」でした。
重要なのは、社会のあり方と、物事に対する根本的な考え方は互いに深く関連しているということです。それは、後期資本主義時代と言われる現代についても言えるのですが、またの機会にお話しします。

さて、この「近代」思考が、第二次大戦に至るまでさまざまな暴力を生み出したことは言うまでもありません。戦後、哲学者たちはこういった思考法を反省することが最大の課題となりました。

中でも、ユダヤ系フランス人の哲学者ジャック・デリダが作ったのが「脱構築」という方法です。これは難解ですが、また誤解を恐れず説明します。

例えば近代的な家父長制では、男性が働き女性が家事をするといった規範があり、それぞれに男性らしさと女性らしさのイメージが押し付けられ、女性は男性に対して下位に置かれていました。

ですが、例えばトランスジェンダーのように、男性的な女性、女性的な男性がいたり、実際には性別はグラデーションではっきり分け切れるものではありません。

こうした事実を指摘し、二分して決められた秩序が実は無根拠であることを暴き出し、近代的思考を乗り越えるための方法が「脱構築」だと思ってください。

注意するべきは、こうした秩序を崩す際に、「女性は男性よりも優れている」という結論に陥ると、それはただの水掛け論になってしまいます。

つまり、「非対称的な権力関係」自体の順序が逆転するだけで、本質的な不平等の解決に繋がらないわけです。
「脱構築」については以上ですが、設問解説で、<他者>についてと絡めてまた触れますので覚えておいてください。

本文を一読してもよくわからなかった方は、以上の「方法としての主体」と「脱構築」を踏まえて読みかえすと意外とすんなりわかるかと思います。本文を細かく解説するよりも、重要な概念を背景から理解する方が、読解に役立つことが多々あります。
オンライン家庭教師「飛ぶ教室」でも、そうした本質的で他の問題に応用できる授業を心がけています。

設問解説

問20 傍線部1「多様なる人びとが」差異を相互尊重しつつ、その差異づけを超えてお互いに交渉し、理解し、変容する機会を設けること」とあるが、その具体的実践例として著者の主張に最も沿うものを選べ。

ようやく設問です。この問題では、著者が抽象的にしか行動指針を述べていないことを突いて、具体例をイメージできるかが試されています。

選択肢を見る前に、問題作成者の立場で考えると、ここでまず一番「落としたい」受験生はどういう人でしょうか。

それは、「綺麗事を言うだけで深く考えない人」です。辛辣ですが、「権威のある先生の言う通りにしていれば褒められた人」は要注意。

例えば、選択肢ロは「人権を尊重し確立する」と書かれていて、確かに善い印象を与えますが、傍線部の「交渉・理解・変容する場を設けること」に「人権 NGOの立ち上げ」は的外れ。

選択肢ハは「外国人入店お断り」という差別を問題視していますが、その差異に目をつけず「平等な経済主体」としてしまう点がアウト。選択肢ニは「環境保護」を掲げていますが、「超党派」での対策が「環境保護」を前提とし、交渉理解変容の場になっていない。選択肢ホも、エリートの支配構造を批判していますが「代弁する政治家」にお任せするのは主体的ではないのでアウト。

間違いの選択肢は全て、いわゆる綺麗事を言う「優等生」が引っかかるように作られています。

正解は選択肢イ。人事で「女性を優先して昇進させる」のは、弱い立場にある女性を尊重しているので一見良さそうですが、それに「疑問を抱いた数名の従業員」がいるとはけしからん!と安直に反応した人は要注意です。後半のそもそも「両性というジェンダー・セクシュアリティの固定観念そのものを議論する場の設置」という記述が、傍線部と合致しています。
先入観がなく解けた方はなかなか良いセンスです。

問21 本文で論じられる「方法としての主体」の説明として最も適切なものを選べ。

これは本文解説を読んだ方は、おそらく選択肢ロと選択肢ホの二択まで絞れたかもしれません。

一見直接的に「方法としての主体」を説明しているのはロです、が、実は後半の「主体と客体を反転させるような運動・過程」という箇所があやしいです。

というのも実は、「主体」と「客体」もまた近代的な二分的思考の産物なんです。誰かを「客体」とみなす、つまり自分にとって「操れる対象」と考えることが支配的関係を産み出す。抽象的ですが、これも「脱構築」によって乗り越えるべき考え方なんですね。

そして「主体と客体を反転させる」ことは、虐められた側が虐める側に回って倍返しするような結果につながり、「虐め」自体の解決にはならない。本文の趣旨を踏まえると、ロは誤りです。

選択肢ホは、ズバリこれだという選択肢ではないのですが、本文でしきりに繰り返された「自己変容」を「自分自身をまず変え」と言い換えているように、ベターな答えとして正解です。

難関大では、差をつけるために、消去法でしか答えが見つけられない設問がたくさん出ます。注意してくださいね。

問22 傍線部2「方法としてのアジア」の説明として最も適切なものを選べ。

これも、ここまでの解説を読まれた方は選択肢ロかホに絞られると思います。「方法としての主体」論を「アジア」という少し具体的な話題に応用しているだけですしね。

選択肢ロは、アジアが西洋から遅れた存在として与えられた価値に抵抗せず、より普遍的な価値の可能性をアジアの歴史から見つけ出すという旨。ホは、東西の異種混淆的な出会いに立ち返り、従来の関係性を覆し全く別の主体を模索するという旨。

似たような趣旨がどちらも本文に書かれていた気がしますね。
ただ、ロに該当する本文を見直すと、第7段落には、

西洋の侵略に対して、東洋が抵抗するという、従来あったような図式も成り立たない。竹内好は、「西洋をもう一度東洋によって包み直す、逆に西洋自身をこちらから変革する、この文化的な巻返し、あるいは価値の上の巻返しによって普遍性をつくり出す」ことを提案する。

とあり、その後に

「アジア」は「ヨーロッパ」の他者として恣意的に切り取られた単位であり、そこに何か実体として独自なものがあるわけではない。

と続きます。微妙にわかりづらいですが、ここで「実体」というのは、何か実際に存在するものと考えられるもの、のこと。
実体としてアジア=東洋が存在して、西洋に抵抗するというのは、そもそも西洋が勝手に定めた境界に従っているだけだからダメだと言っているんですね。

これも具体例で考えると、明治以降の日本が「脱亜入欧」を目指して国家を改造し、「晴れて」西洋列強に認められた歴史のように、実体としての「アジア」の境界を決めてきたのは「西洋」なのですね。

その区分けにしたがった抵抗では限界があり、「価値」の面で変革するべきと著者は考えているので、選択肢ロは「価値に抵抗せず」の部分が誤りです。正解はホ。

微妙な間違いでしたね。いかがでしたか?

問23 傍線部3「「可能性としての他者」に注意深くあらねばならない」とあるが、それはなぜか。最も適切なものを選べ。

これまで考えてきたように、自分を「主体」、逆に他の存在を「客体」=操作対象と考えることは、非対称な支配関係につながる危険性を孕みます。では、どう考えるべきかというと、他の存在も意志を持って行動する「主体」として考えるべきですよね。

そういう存在のことを、現代文では「他者」と言って、自分とは全く異質で、完全に理解することはそもそも不可能なものとして捉えます。

その前提で考えてみると、常識的には「弱い人の立場になって共感すること」は正しいとされていますが、実際完全に他者になりきることはできないので、そこには何らかの決めつけ、つまり自分との同一視が含まれてしまうものです。

例えばクラスで目立たない人のことを、スクールカースト上位の人が「勉強もスポーツもできなくてかわいそう」と勝手に同情したとして、実際はその人は勉強やスポーツに価値を見出していない、勝手なお世話だということも考えられますよね。

当たり前のことですが、他者は理解不可能なのです。かといって理解を諦めてはいけないんですけど。

その視点で見ると、選択肢イは「直接的な他者理解や共感」が、ロは「他者の視点から」の部分が、「他者に出会いその生を追体験する」が、ホは「自己と他者の共通点を具体的に見出すこと」が、全て同じ理由でズレた解答になってしまいます。よって答えは消去法で選択肢ニ。

選択肢形式の問題は、設問を読んだらすぐにそれぞれの選択肢を読んでしまう人が多いですが、事前に何が聞かれているのか、どういう間違いが想定されているか考えると、成績が伸びるので心がけてみてください。

まとめ

さて、以上で早稲田法学部2022年度国語第4問現代文の解説は終わりです。

どんな大学にも出題される問題の傾向があり、それを理解しながら、応用できる知識を積み重ねていくのが重要です。それは市販の問題集では不十分で、効率が悪いです。

オンライン家庭教師「飛ぶ教室」では、国語に限らず過去問を中心に一緒に解いて、直接得点に結びつく授業を行なっています。

ご興味を持たれた方、今回の解説に疑問が残る方は、当サイトから無料体験・ご相談をお待ちしております。

以下に本文の要約と語彙の解説を載せておりますので併せてご覧ください。ではまた。

本文要約

1.社会問題・環境問題という2つの大きな現代社会の課題の解決には、どちらも社会経済・技術・政治における人と人、そして人とモノのよりよき関係性を探求し、グローカルな「関係性の政治」を活発で効果的にすることが必要だ。

2.そのためには、「差異づけられた市民権」の考え方、つまり多様な人びと同士が相互の尊重と、差異づけを越えた交渉・理解・変容の機会創設によって、他者と出会い、その差異づけを統治の道具から多元性獲得のための資源と転換するということが求められる。

3.こうした可能性を、ここでは「方法としての主体」を立ち上げ、「可能性としての他者」に出会うという方法を通して考える。

4.その意義は、ヨーロッパ・都市・ブルジョワ・男性・キリスト教徒中心の帝国的・植民地的な支配構造を脱構築し、自己がおかれた関係性の中で開かれながら、そのあり方と自他の関係性を生成変化させていくことにある。

5.例えば植民地インドで、権力から与えられたカーストなどのカテゴリーが「統治される人びとの政治」の基盤となっていったように、現状の支配関係のなかで、受動的に与えられた人種・階級・ジェンダー・宗教などの自己のカテゴリーをとりあえず引き受け、それを「方法としての主体」に反転すれば、カテゴリーの主客関係自体に働きかけることができるようになる。

6.「方法としての主体」の可能性は、国家に対する政治的要求にとどまらず、権力主体と統治される客体の植民地的二項対立のあり方自体を揺るがし、非対称的な権力関係によって分断された自己と他者の<あいだ>に眠る新たな可能性を顕にすること、外在的な権力関係にくわえ、ひとりひとりに内在している帝国・植民地主義をも揺るがし、自己変容することにある。

7.この観点で、「方法としてのアジア」も理解できる。つまり、単に西洋の侵略に対して東洋が抵抗するという従来の図式ではなく、竹内好の提言のように、「西洋をもう一度東洋によって包み直」し、「こちらから変革」し、「価値の上の巻き返しによって普遍性をつくり出す」ことが、「方法として」アジアをみることで可能となるのだ。

8.グローバルな異種混淆的出会いのなかから、アジア・アフリカを他者化することで、ヨーロッパが主権的主体としての自己を構築したのが近代なのだから、あえてその客体的位置づけをアジアが引き受けながら、その主客の枠組みを崩し、巻き返すこと、関係性自体に働きかけ、自己変容を含んだ運動・動態としてあることが「方法としてのアジア」の独自性ではないだろうか。

9.「方法としての主体」の立ち上げは、男と女・エリートとサバルタン・白人と黒人など、帝国的・植民地的支配構造と深く結びついた多様な権力的二分法の解体・主体再構築にも有用だ。

10.例えば「女性」カテゴリーを実体化せず、方法として用いることで、ジェンダー・セクシュアリティの枠組みを解体して、人間の性的な異種混淆性を認識したうえで、より普遍的に人間を理解し、自らの固有性に立って主体を構築できる。

11.「方法としての主体」を立ち上げる際、「可能性としての他者」に注意深くあらねばならないが、どのような存在として他者をみるべきだろうか。

12.先に指摘したように、西洋が主権的主体たりえたのは自己の反対物として否定的に固定化した「他者」の存在があったからだが、対して「可能性としての他者」とは、自己もそうであったかもしれないが、自己とは異なる別様の存在者であり、現存の主客枠組みにおさまらない「ひとつの可能世界の表現」なのだ。

13.ここでの<他者>は、「多文化主義」のように、同一の自然を多様に解釈する存在者としてではなく、「多自然主義」的に、自己とは別様の多様な身体を持っていて、それに応じて現れる多様な自然をみる存在者として捉えるべきものだ。

14.そのような、自己にとって既存の枠組みの内部で理解不可能な<他者>との出会いによって、別様の可能性の存在を学び、わたしたちの世界はより多元化・豊穣化することができる。

用語解説

セクシュアリティ…性に関わる人間の社会的・心理的な価値判断やふるまいのこと。フランスの哲学者ミシェル・フーコーが考察対象として。フーコーは早稲田受験生なら調べてみよう。
グローカル… グローバル+ローカル。世界的な視点を持ちながら地域的に活動することにいう。
ポストコロニアル…20世紀後半、旧植民地が世界的に独立する中、差別などの植民地的課題が依然として残った時代を指す概念。ポストコロニアル理論で代表的なのはエドワード・サイード『オリエンタリズム』。
ジェンダー…身体的性(セックス)に対して、社会的文化的な性別。
チャタジー…ポストコロニアル理論の流れで、インドの政治・歴史学者パルタ・チャタジーもサバルタン研究で活躍。
<あいだ>…ひらがなで表記されているのは、精神医学者木村敏の論じた自己と他者が出会う空間についての概念の引用だから。
竹内好…中国文学の研究者。戦後思想論壇でも活躍。
実体…実際に存在し、変化しないもののこと。哲学では、何を実体とするかで立場が別れる。人間の心が実体なのか、目に見える物質だけが実体など。逆に例えば人種や文化など、実際には白黒つけられないグラデーションになっている分類でも、それを実体と捉えてしまうと偏見が入り込んでしまうので注意が必要。
他者…「他人」とは違い、現代文では特に人間や生き物でなくともよく、自己に対して未知だったり理解不可能なもののことを指す。
サバルタン…ポストコロニアル理論の用語で、もとは英国統治下のインド民衆のこと、のち一般に下層階級者のことを指す。
パースペクティブ…美術の遠近法のことだが、カタカナで現代文に出てくるときは、絶対的な価値基準がないこと(ニヒリズム)を主張したドイツの哲学者ニーチェの使った意味で、現実世界も一人一人の相対的で違った観方でしか捉えることができないということを意味することがある。
ヴィヴェイロス・デ・カストロ…ブラジルの人類学者。
ハビトゥス…フランスの社会学者ピエール・ブルデューが用いた用語。日々の生活の中で自覚なく形成される人々のふるまい。単なる習慣と違って例えば絵画創作など、新しい行動を生み出すことができるようになる過去の蓄積。ブルデューは階級の再生産には、お金以外にも趣味などの要素が実は重要だということをこの概念などを通して示した。
市民社会…国家権力に対して社会の構成員が人権や自由を求めるためのつながりのこと。

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