参政党の「新日本憲法」について / ファシストには国語を

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これまではあまり仕事を減らしなくなかったので、基本的には世間様の「政治の話はタブー」という風潮に靡いて、現実社会の政治の話は授業で避けてきた。

「自由な考えが許される社会が善い」という意見が政治的では無いと仮定すれば、の話だが。

今、この主張が「政治的主張」とみなされる社会が目の前に来ている。

最近急速に(どこからカネが出てるの?)勢力を拡大している「参政党」の「創憲」(法律を学んだ者にとっては、失笑しかない)したという新しい憲法案では、

「国民の要件」に、「日本を大切にする心」が含まれている。日本を大切にする心がなければ、「非国民」ということだ。また、私の生徒にもいるが、日本語が母国語でない人間は、日本人ではないことになる。

日本人でなくなることは、例えば病気や怪我で働けなくなった時には、生活保護などの国家による救済を受けられないことを意味する。(第3章第8条第2項)

念の為、私は「日本を大切にする」ことを否定しているのではない。「日本を大切にする」ことの定義を誰が決めるのかが問題だ。権力者が恣意的に決めて、例えば現代文の授業で『「甘え」の構造』を扱ったら刑務所行きなのか。国民の統合を目指す憲法に、主観的な価値判断を含む文が含まれてはいけないはずである。意見が違う者を分断し、排除することになる。

また、自分たちの社会を批判的に見ない国家が、成長することなどありえるだろうか?とも思うのだ。

さらに、憲法レベルで同性婚を排除する。(第3章第7条3項)

婚姻は「男女」間で成立すると明記している。

数年前に逝去した同性愛者の弟や、同性愛者の友人がいる人間としては、これは一切許容できない。

さて、これがたくさんの支持を集めているのが今の日本だ。

私はもう何年も前からこの国がファシズム、全体主義に陥っていると確信してきたし、このサイトを「飛ぶ教室」としているのも、ナチスドイツを生き抜いたケストナーに敬意を表しているからだ。

現代文でも全体主義についての文章が頻繁に出てくるが、そんな考えを生徒に押し付けたりすることはなく、理詰めで考えるための材料を与えるに留めてきた。

そうした私の「婉曲」的、「節制」的な態度を捨てないといけないほどの事態がもう来ているように感じる。

①このサイトにも、「俺が気に入らないから」「他の塾ではそんなこと書かないから」記事を削除しろ、というクレームが届くようになってきた。同調圧力を忌避するというこれまでのマナーは、大の大人であるはずの保護者層にも失われている。

②生徒が、反全体主義的なテーマの小説を読み、当然のように「働かない人間は殺されても仕方がない」という感想を持つ(生徒に責任があるとは思えない)。

③「天皇に対する敬意」に限らず、何らかの思想を守らなければいけない国になると、まず最初に検閲されるのは現代文の文章だろう。そうなると、私は廃業をするか、さもなければ、クソつまらない文章を扱うことを強いられるだろう。

その他諸々。

つまり、これは私にとってとても重要な、死活問題なのである。

では、どうするか。特にやることは変えない。

①文章読解を通して、今までもこれからも、少しでも多くの生徒に、自由に読むこと、それを通して自由に考え、自由に生きることを伝えるのみである。

②また、異質な他者を(完全には不可能とわかりながらも)丁寧に理解しようとする態度を、精密な読解を通して教える。外国人を排除しようとする排外主義者に国語は読めるようにならない。

③天皇が特に平安期、古典文学の世界でどのように扱われていたか、それが近代日本の天皇崇拝と如何にかけ離れているか、機会があれば教える。

④近代の「個人の自由」という崇高な理念と、「自由からの逃走」の結果としての暗澹たる歴史を、背景知識として教える。

そうして学んだ生徒が、感性と論理で、ファシストを「排除」することを期待するだけだ(同時に、①から④までを学ぶレベルに至れば、難関大学受験国語など楽勝である)。

もちろん、自由が天皇崇拝と結びつくことをロジカルに説明できるのであれば、それもかまわない。だが、全体主義の考え方は少しも容認しない。徹底的に排除するべきだ。

参政党支持者の家庭だろうと、国語を教えることに変わりはない。まあ、オプションで憲法講義も作っていいかな。

この「憲法」を読んで、感動したり、あるいは恐怖を感じなかったりする場合は、ご家族揃って、大学受験国語で学ぶべき感性や理性など、大切なものが欠けていると思われるので、ご家族揃って、私の講義を受講してください。

こういうのを間に受けるのは、政治上の考えの問題ではなく、知性やリテラシーの無さの問題ですよ。こういう極右に限って、批判されると「いろんな考えがあっていい」と相対主義に逃げこむんだけど、超えちゃいけないラインがあるよね。天皇崇拝を憲法に掲げるのは「考えの押し付け」以外の何でもないのだから。