日本中の高校生を密に教える経験というのは稀なものだと思うが、まさしくそういった仕事をしている私だからこそ実感を持って語れる問題が「ニッポンの学力格差」だろう。
とはいえ、あまりそういった「モンダイ」について知識人めいた語り口をするのも気味が悪いので、相変わらずここには愚痴を記すだけである。
愚痴くらい 言わせておくれ 柿の種
ごく稀に私の書いたことに対して削除しろやらぬかしなさるクレーマー様がいらっしゃるが、貴方には私の憲法講義をお見舞いしたい。「表現の自由」と書かれたご本尊を1000000円で購入いただけるオプション付きである。
私は「無料体験」なるものは嫌いで、本当は実施したくもない。ただなんとなく、塾なら体験をやるべきだという空気にまけて一応頼まれれば実施することにしているだけで、できれば相談だけで済ませて欲しいのである。
実際、相談だけでも受講にいたる方が最近は多く、もう廃止してしまってもいいのではないかと思っている。学力を大体推定するために事前に共テの問題くらいは解いてきてほしいけど、解説はやりたくない。
理由はいくつもある。
ひとちゅめはプライドだ。
タダ働きをしてタダでサービスを提供するのはとても不愉快なものである。また、たった1時間弱のなかで、素人目線でそれを偉そうにジャッジされるのも気に食わない。
何も知らない人ほど偉そうなのが世の常だ。
素人というのは、素人だからこそ自信に満ち溢れている。
去年まで高校受験対策で教えていたある中学生は、いくら本質的なことを授業で扱っても全く身に付かなかった。復習するよう指示したのに全然やってなかったからである。その結果高校受験は全敗したそうだ。
それなのに今年またお申し込みをいただき、今度は東大を目指すから、高一から東大過去問を全部授業で扱って欲しいと親御さんが言ってきた。
全然そんなレベルにないから「ちくま入門」レベルからどうですかと提案すると、さらにその上の「ちくま評論選」を中学時代に終えたという。
私に隠して他の講師の授業で扱ったらしい。そんなだから復習がおろそかだったのかと納得。まあ、ちくま評論選を仕上げて落ちるような高校(あるいは大学)など存在しないのだけど。
こういう人たちは、病院に行って、今後風邪をひきたくないから一生分の風邪薬を処方してくれとお医者さんに頼むのだろうか?弁護士に、自分の用意した証拠だけで戦えと言うのだろうか?
お医者はん 死にたくないから そばにいて
端的に言って、国語プロ講師としての私をリスペクトしていないのである。なぜか、自分では難関大に受かったこともないし、誰かを教えて難関大に受からせたこともないし、普段本を全然読まないくせに、教育ママとしての自分に自惚れ、「わたしの考えた最強の受験戦略」を押し付ければ我が子が東大に受かると思い込んでいる。
一日中植物に水をかけ続ければすぐに花開くと思い込んでいるのであり、咀嚼や吸収といった言葉が過剰教育ママの辞書にはない。
そんな人のやり方に従って授業をさせられるとプライドがズタボロになるのでお断りだよ。
話がズレた。とにかく素人目線など一顧だに値せぬと言いたかっただけだ。
ふたちゅめ。「教える」講師は二流だからである。
「無料体験をして欲しい」という人は大抵「コイツ、ほんとにわかりやすく教えてくれるの?」と思っているのだ。
わかりやすく教えて貰えば自分にもむじゅかしい大学に受かれると素朴に考えているのだろう。
しかし「わかりやすく教えられるか」は、学校の先生程度ではとても大切な尺度であるが、そんなことに固執しているのは私からすれば二流、いや、三流以下だ。
わかりやすい受講を鼻をほじりながら受けるということが青年に及ぼす害について認識の甘い保護者の方がとても多いが、それは端的に言って資本主義的な教育シャブ漬け戦略の一貫に過ぎず、そんな授業は受ければ受けるほど何も考えなくなり頭が悪くなる(ただし、幸せにもなれるかも)。
善い授業では、「教える」行為は目立たず、対話の中に溶け込んでいる。生徒は、自分が「教えられている」ことに気づかない。プロであれば、「教える」という暴力を遠ざけないといけない。自然と生徒に主体的に考えてもらえるような授業がホンモノなのであって、その質をたった1時間で素人が判断できるはずがない。
たかが1時間の体験授業では、そんな技術は使えない。いわゆるしょうもない「解法」めいた子供騙しのダイジェストを自慢げに見せびらかすだけの猿芝居が関の山である。
「現文、古文、英語など、色んな科目を1時間で体験授業して欲しい」(コイツが全部完璧に教えれるのか確かめてやる)という要望もよくあるけど、これが一番しんどい。全部ダイジェストどころか目次レベルの浅い内容になる。その結果「よくわからなかった」とか「簡単だった」とかで受講見送りになった時の虚しさは計り知れない。
とまあ、こんな勝手な基準で素人に評価されるのはプライドが許さない。厳密には素人にどう評価されてもプライドは傷つかないが、受講につかながらないとだるいし虚しい。
みっちゅめ。体験授業はギャンブルだからである。
体験受講生の学力が全然わからない状況で、何かを教えてるのはギャンブルだ。
その教え方がちょっとでも難しかったり、逆にちょっとでも簡単だと、自分に合わないと判断される。たまたまその人にぴったりのレベルになれば良いのかもしれないが、そうでなければ受講にはつながらない。
そんな賭けで私の貴重な時間を無駄にしたくない。
地元の学校の近くで塾をやってるのであれば、その学校の生徒が集まるので、ある程度均質なレベルが想定できるのだろう。私は日本中の高校生高卒生を相手にしているのでそうもいかない。なかんずく国語については学力があまりにも千差万別である。国語は正直言って、ご家庭の蓄積している文化資本の量が多大な影響をあたえる科目だからだ。これはお金では完全にどうにもならない。
どれが善いというわけではないのだけれど、小説や新書が一冊もない家庭と、普段から小説他芸術にふれる家庭(もちろん、子供を偏差値の高い大学に送り込みたいという、姑息で不純な動機からではなく、芸術そのものへの敬意からくるもの)では、結果的に子供の国語に関する成績が異なってくる。
国語で学ぶことは現実の人生に関わることなので、人生経験をさせずに小学生から机の前に子供を縛りつける「熱心な教育パパ/ママ」も相当悪影響である。
私が見るに、ニッポンはそういった教育格差がどんどん進んでいる。プロの個別指導をつける程度の余裕がある家庭ですらそうなのだから、いわんや…
と、やっとここで本題に繋がった。でも本題なんてクソ喰らえだろう?(なんてお下品な!)
というわけでオンライン国語個別指導の体験講義はあまりにもギャンブルの要素が強い。そんなものに神経を使うと人生が色褪せるし、受講につながらないとプライドが少し傷つく。
以上の三つが私の体験授業ギライの理由だが、してみると全てが過剰なプライドに結びついていることをご理解いただけただろうか。
プライドが たかいといきづ らいよねぇ
でもそれを捨てると人間ではなくなるので捨てません。あ、体験は言われればやりますが、学力を確かめるためのものと理解してくださいね。
受講していただいている方のほとんど、まともなご家庭からは、ある程度の期間受けることでじっくり国語が楽しくなり得意になる感覚にご好評をいただいているので、何も気にしない気にしない。わかる人だけにわかって貰えば余裕でやっていけるからね。
この前もらった受講生の保護者様からの口コミ↓

なんかマインドコントロールしてるみたいで自分が怖い。
でももしかしたら、難解で意味不明な評論文なんかを読んで、高校生が「面白い」と思うなんて、少し異常なことなのかもしれないです。
…ではでは。
追記1
無料面談をわざわざしてやってるのに、受講につながらない人たちは、体験後何の連絡もないのが9割である。本当に不愉快だ。お礼とか、せめて受講しない理由を遠回しに伝えるとかあるだろう。親子そろって礼儀のない家庭が本当に多い。お客様になってもないのに神様ぶらないでください。特にネットだと、馬鹿な人は生身の相手がそこにいることを想像できない。私のことを録画かアバターかなにかと勘違いしているのだろう。人の1時間(準備入れるとそれ以上)をタダで割いてもらって何とも思わない、こういう奴らはどうせコンビニでも店員さんにお礼したりしないんだろうけど。
私は性格が悪いため、そんな人たちの不合格は真剣にお祈りしている。実際、礼儀のなさと知性のなさは相関関係にある。知性や礼儀については、もはや格差ではなく、全体的な底下げが起きているのがこのニッポンだ。一億総無礼。
とはいえ今は、無料相談の後は、相手方のことはすっかり忘れてしまって、受講希望連絡が来た時だけ思い出すようにしていて、これはこれでストレスがないからいいのかも。
普段の授業自体は楽しくて仕方がないけど、無料相談が不愉快すぎるので、この仕事を辞めたくなることがしばしばあるのだ。
追記2
こういうぶっちゃけた、愚痴にまみれた記事を垂れ流していても、仕事は減るどころかむしろ増えていく。しかもやりがいのある仕事が増える。
オープンマインドな、=知的な保護者の方がこのHPをみて、私になら任せられると確信していただけるのだ。私が人間味のないつまらない国語講師ではないとわかってもらえるのである。
保護者の方がオープンマインドだと受講生も素質があることが多く、したがって合格する見込みも高い。
選抜の意図もこめて、こういう記事を公開しておこう。